回・転・展

しりあがり寿の現代美術 回・転・展
2016年7月3日(日)~9月4日(日)
練馬区立美術館
2016年9月17日(土)~11月6日(日)
刈谷市美術館

特に2000年代以降、マンガ作品を「アート」とみなして美術館で扱う、というケースは増えつつある。本展でも、前半では、しりあがりによる80年代に描かれた初期のパロディマンガから連載中の新聞マンガまでを、テーマに分けた上で、その原稿=原画を美術品のように扱いながら紹介している。

しかしながら、作家自身は、自分のマンガ作品がアートとして扱われることに重要な意味を見出しているようには思えない。逆に、美術館というメディアにおいて、そういう扱いをするようになった「現代美術」というテーマでギャグマンガを制作している、という感覚なのではないか。

美術館で行われるマンガ展には3つあって、ひとつは、ファンサービスとオリジナルグッズの販売を目的として(百貨店の催事場用に)出版社が作ったパッケージ展。人気作家や作品を扱っており、入場者数が伸びることを期待して開催される。もうひとつは、美術館のキュレーターが、(他の一般の美術展同様、)マンガを美術の文脈で解釈し再構築した形で提示した展覧会。残念なことに、現在の美術館におけるマンガ展は、前者がほとんどで、後者のようなものは少ない。

3つ目のパターンは、これも数は少ないが、マンガ家自身が、美術館という新しい“原稿用紙”の上で、新しいマンガ表現を追究するというもの。今回の展覧会を含め、しりあがりの個展はすべてそうだと言っていいだろう。ギャグマンガ家はそもそも、赤塚不二夫がそうであったように、常に表現の手法や制度そのものに意識的な創作者(時に破壊者)だが、本展の後半で展開された、あらゆるもの――額縁、ダルマ、ヤカンなどなど……を回転させる、というインスタレーション作品群は、本というメディアでできないことをやってみようという、シンプルだが力強い「ギャグマンガ」精神が感じられる。本展でも紹介された、アニメーション作品や、空間の形に這わせた巨大な紙に巨大な絵を描くという作品も、本では決してできない表現である。

そう考えると、しりあがりにとって、「巡回展」というのは重要な意味を持つだろう。なぜなら、同じ展示物でも、会場の空間構成や広さなどによって、全く異なる表現となり得るからである。実際、本展覧会も、練馬区立美術館(東京)、刈谷市美術館、伊丹市立美術館(兵庫)を巡回したが、それぞれ異なる印象を作り出していた。巡回展示の評価はしばしば、(東京で始まる)最初の会場のみが対象で、巡回先のキュレーターたちの苦労と企みについては、ほとんど記録されない。場合によっては、巡回会場限定の新作が作られていたとしても、だ。今回の展覧会で言えば、刈谷市美術館展で、併設された茶室の障子をマンガの原稿用紙に見立て、代表作の「弥次喜多」シリーズの新作が描かれたが、それは公式図録には載っていない。障子という曖昧な仕切りのせいで向こう側をぼんやりとしか認識できない和室が作り出す漠然とした不安は、正にこの作品のテーマであるが、そこでのんびりお茶を飲ませるという馬鹿馬鹿しさも、しりあがりギャグの本質そのものであるように思ったのだった。

[初出=『REAR』リア制作室、2017年]